Li Yang 李扬/ 404 Not Found
{{detailCtrl.mainImageIndex + 1}}/7

Li Yang 李扬/ 404 Not Found

Last 1

4,950 JPY

About shipping cost

インターネットの世界には存在しない場所、404。 中国のとある背景を持つ、'名前のない街’で撮影された写真集。 仕様: 225x155mm / 208ページ / 上製本 
初版500部
 Jiazazhi Press発行(2019年) ー版元サイトよりー 本書の写真は、"404"と呼ばれる中国のある街で撮影された。"404"はインターネットで検索をかけた際にエラーメッセージとして"Not Found(未検出)"という意味もある。 "404"はコード名であるが、他のちゃんとした名前をつけさせてもらえず、今だに中国の地図でも記載されていない実在の街。"404"は1950年代に作られた街で、1㎢以下の土地に約5万人がかつて住んでいた。 "404"は、中国の核爆弾プロジェクトを支える原子力技術研究における最初期かつ最大の拠点で、その街の発展は、1964年と1967年の中国における原爆と水素爆弾のそれぞれの最初の爆発のあと、世界における中国の国際的地位向上に多大なる歴史的貢献をした。 "404"は小さい街ではあったが、中国のほかの街のようにすべての行政機能を持っていた。公安、土地管理、教育、裁判所などの行政機関がこんなにも小さい街で存在し、運営されていたのは、やはり特異な街だったからだ。 "404"はゴビ砂漠のなかにある孤立した場所に存在し、石ころもない土地だ。あるのは、ラクダ草(Camel Grass)と呼ばれる砂漠のような過酷な環境に自然に耐えられる種類の植物だけで、この場所のすべての樹木は人工栽培を通して育ちました。 この街が最初に建設された時、全国各地のエリートが選ばれ移住してきました。当時、国内で最も優れた原子力科学者、技術者、料理人、教師、医師などが集められてきたのでした。彼らはゴビ砂漠の真ん中にあるこの街に来て、何もないところから街を造り上げていったのでした。また、彼らは去ることもしませんでした。半世紀の仕事とそこでの生活の後、これらの人々は死に、彼らもまた結局そこに葬られました。 私は"404"移住者の第3世代にあたります。本作のすべて写真は、自分の経験と私の周りの人たちに関係するものになります。自分が通った幼稚園、自分の両親も卒業した小学校。地域の社交の場としても重要だった公衆浴場、そしてまた私が自分で植えた2つのポプラの木などがあります。これはかつての"我が家"で、人生で溢れていました。 "404"が建設されて半世紀後の2000年代はじめに、人々はそこから去りました。残ったのは、至るところ寂しい街の影でした。私がカメラを持って戻ってきて、寂しい街並みを目の前にした時、完全に違った世界に直面しているかのように衝撃を受けました。非常になじみがあるんだけれど、同時に非常に奇妙さに感じました。 リー・ヤン(李扬) 1984年、"404"に生まれ、19年間そこで過ごした。"404"は中国西部にあるゴビ砂漠にあった街で、中国の地図でも探すことのできない秘匿された土地だった。"404"は1950年代に建設され、中国初の核兵器の実験をした場所である。 リーは中国の西南科技大学(空気調和工学専攻)を2007年に卒業。2007年から2013年にかけて、中広核工程有限公司(China Nuclear Power Engineering Co., Ltd.)でデザインエンジニアとして務めた。2013年よりフリーランスの写真家として活動し、拠点を北京としている。